昭和23年1月に株式会社阿部組として設立し土木・建築業を開始致しました。 昭和23年10月には阿部建設株式会社に社名を変更し、地域の発展に寄与する工事を数多く手掛けてまいりました。 現在では総合建設企業として、公共・文化施設や教育施設、医療施設、一般住宅の建設、護岸工事や造成工事など土木一式、道路の新設、補修工事に至るまで、受注の範囲も多岐にわたり年々着実な成長を続けております。 平成5年12月には新しい本社社屋も完成。 ますます多様化する建設業界にあって、あらゆるご要望に対応できる設備、機能、環境とも充実いたしました。

平成27年12月

中国青島駐在員事務所を閉鎖。
平成27年01月 災害時の基礎的事業継続力(BCP)認定を取得。
平成23年07月 資本金を 60,000,000円に増額する。
平成23年07月 ISO14001を取得。
平成21年04月 中華人民共和国青島市に中国青島駐在員事務所を開設。
平成20年10月 千葉支店を関東支店と改称。
平成11年12月 ISO9001を取得。
平成07年09月 専務取締役 阿部典義が代表取締役社長に就任し、代表取締役社長 阿部斐文は代表取締役会長に就任する。
平成05年12月 本社社屋(鉄筋コンクリート4階建延1984.7㎡)を国道126号沿線に新築し業務を開始する。
平成02年11月 産業廃棄物中間処理業許可取得により 破砕処理場を設置する。
昭和51年11月 旧アスファルトプラントの老朽化と、住宅地開発等による環境の変化に伴い、新たに香取郡干潟町(現旭市)清和乙地先に、工場を建設(生産能力1時間当り40t)し販売部門を設け、販売を開始する。
昭和48年08月 資本金を 50,000,000円に増額する。
昭和42年08月 資本金を 20,000,000円に増額する。
昭和42年03月 社団法人千葉県建設業中央会設立に参画し設立と同時に入会する。
昭和41年06月 アスファルト合材の需要増加に伴ない、旭市馬場地先に新工場(生産能力1時間当たり35t)を建設し供給体制を整え、一部販売を開始する。
昭和38年12月 資本金を10,000,000円に増額する。
昭和38年10月 資本金を8,000,000円に増額する。
昭和38年10月 本社社屋(鉄筋コンクリート2階建延 380㎡)が落成し、業務を開始すると共に、創立15周年式典を兼ね落成式を挙行する。
昭和38年09月 営業範囲の広域化に伴ない、千葉市本町3丁目3番地の5に、千葉出張所を設置、営業活動の推進と円滑化を計る。
昭和38年01月 会社創立15周年に当たり、社員の増員に伴ない旧事務所が狭隘となり、本社々屋を改築すべく、旧旭信用金庫の御好意により同金庫内の建物を借用し仮事務所を置く。
昭和37年11月 旭市江ヶ崎地先に、アスファルト合材工場(生産能力1時間当り15t)を新設し、アスファルト舗装工事の施工を本格的に開始する。
昭和33年09月 特別失業対策事業施工主体として、失業対策に協力し職業安定に寄与した功績が大であると認定され、労働大臣より表彰を受ける。
昭和32年04月 アスファルト舗装部門の開設を計り、社員を栃木県佐野市所在の、野中建設株式会社に委託し、技術修得の研修をさせる。
昭和32年01月 不動産取引業の認可を取得し、旭市ロの356番地先の約7千平方米を建売分壤住宅建設を目的に譲り受け、敷地を造成し、住宅10棟を建築し分譲した。東総地区での民間分譲住宅の草分けであった。
昭和30年09月 資本金を 2,000,000円に増額する。
昭和30年04月 中、小学校の体育施設として、プールが建設される様になり、佐原市立佐原小学校、水浴プール(今では珍しい名称)新設工事を受注し、初めてプールの施工をする。
昭和29年12月 資本金を 500,000円に増額する。
昭和27年05月 本社事務所を、海上郡旭町(現旭市)ロの832番地〜7の現在地に新築(木造2階建延132㎡)し、本社所在地を移転する。
昭和26年04月 本拠地の移転に伴い、千葉県建設業協会海匝銚子支部に所属を移す。
昭和25年07月 営業の本拠地を、海上郡旭町(現旭市)ロの835番地に移す。
昭和25年07月 官工事の建築工事として初めて、匝瑳郡飯高村(現匝瑳市)より、飯高新制中学校新築工事を受注する。
昭和23年10月 社名を阿部建設株式会社と改称し、新たに建築工事の施工を開始する。
昭和23年04月 千葉県建設業協会に入会し、佐原支部に所属する。
昭和23年01月 株式会社阿部組を設立し、本社を香取郡笹川町(現東庄町)に置く。 資本金 195,000円。
昭和21年10月 組織を阿部組と改称し、新たに木材、製材、木工業を兼業する。
昭和21年06月 先代社長が昭和21年5月復員し、故名古谷兼吉(先代社長の義兄で昭和20年10月死去)の経営に係る土木業名古谷組を、氏の物故後も継続した。その当時、施工中の大利根用水改良事業、西幹線用水路、香取郡中和村(旭市)清和甲地先、諸徳寺隧道及び清和隧道、同村南堀之内地先、堀之内隧道と、香取郡良文村稲荷入地先、良分隧道の四隧道工事を一緒に継承し同工事の施工と名古谷組の経営に当たったのが始めである。